団扇と扇子は、別のもの
まず整理しておきたいのが、団扇(うちわ)と扇子の関係です。同じ「扇ぐ道具」でも、生まれた場所も時代も違います。
歴史が古いのは団扇のほうです。古墳時代に中国から伝わった「翳(さしは)」が原型で、いまの団扇より柄がずっと長く、風を送るというより、貴人や女性の顔を隠したり、虫を払ったりする道具でした。小型のものを「打ち翳(うちは)」と呼び、これが「うちわ」になったといわれます。
一方の扇子は、団扇が伝わってから約百年後、平安時代の日本で生まれました。折りたためる扇は、中国から来たものではありません。日本人の発明品です。
はじまりは、メモ帳だった
最初の扇子は「檜扇(ひおうぎ)」といいます。薄い木の板(木簡)を数枚まとめて綴じたもので、宮中の複雑な作法を書き留めておくためのものでした。つまり、はじまりは扇ぐ道具ではなく、手帳だったのです。
使っていたのは主に男性で、公の場での備忘録として持ち歩きました。やがて檜扇に色や絵が施されるようになると、宮中の女性たちにも広がります。女性が持つものは「衵扇(あこめおうぎ)」と呼ばれ、装飾品として好まれました。
現存する最古の檜扇は、京都・東寺の千手観音像の腕の中から見つかったものです。元慶元年——西暦877年の銘があります。千年以上前の扇が、仏像の中で守られていたことになります。
その後、竹や木の骨組みの片面に紙を張った「蝙蝠扇(かわほりおうぎ)」が登場します。こちらは夏用の扇でした。こうして扇は、平安貴族の礼装に欠かせないものになっていきます。
源氏物語の中の扇
平安時代の扇は、風を送るだけの道具ではありませんでした。礼儀の道具であり、人と人をつなぐ道具でもあったのです。
『源氏物語』にも檜扇や蝙蝠扇が何度も登場します。扇いだり、女性が顔を隠したり。それだけでなく、自分の気持ちを歌にして扇に載せて贈ったり、人を呼ぶのに使ったりもしています。手のひらに収まる小さな道具が、感情を伝える媒介になっていたわけです。
日本の扇子が、ヨーロッパの扇になった
鎌倉時代、日本の扇子は中国を経由してヨーロッパへ渡ります。そこで独自の発展を遂げ、羽やレースをまとった洋扇が生まれました。
おもしろいのは、西洋では扇が最初から女性の持ち物だったことです。日本では宮中の男性の備忘録として始まったものが、海を渡ると貴婦人の装身具になった。絵画の中で貴婦人が手にしている扇の源流は、日本にあります。
いっぽう中国では、扇子は両面に紙を貼る形に変わりました。それが室町時代に日本へ逆輸入され、広まっていきます。行って、変わって、帰ってきた道具なのです。
庶民のものになったのは、江戸時代の後期
鎌倉時代までは、扇子を使えるのは貴族や神職など一部の人に限られていました。その後、庶民にも許され、能や演劇、茶道に用いられるようになります。
ただし「涼をとる」という、いまでは当たり前の使い方が広まったのは、庶民文化が花開く江戸時代の後期のこと。千二百年の歴史のうち、扇子が涼をとる道具になってからの時間は、じつはそれほど長くありません。
京扇子と江戸扇子は、どう違うのか
扇子には産地があります。平安時代に京都で生まれたことから「京扇子」が有名で、国の伝統的工芸品にも指定されています。ほかに江戸扇子、名古屋扇子などがあり、産地ごとに特徴が異なります。
骨組み(扇骨・せんこつ)の産地も決まっていて、滋賀県高島市で作られる「高島扇骨」が、日本で生産される扇骨の九割近くを占めています。
江戸扇子の特徴は、骨の数が少なく、一本一本が太いことです。京扇子が繊細で優美なのに対して、江戸扇子は素朴で力強い。そして折り幅が広いぶん、閉じたときに「パチン」と澄んだ音が鳴ります。この音は、江戸扇子の作りだからこそ生まれるものです。
サイズの見方
扇子のサイズは「寸(すん)」で表します。慣れないと分かりにくいので、目安を挙げておきます。
- 1寸
- 約3cm
- 7寸
- 約21cm(閉じた状態の長さ)
- 7寸5分
- 約23cm ← 江戸革扇子はこのサイズ。男女兼用です
- 骨の数
- 「間(けん)」で数えます。親骨と中骨を合わせた本数です
大きいほど風量は増えますが、そのぶんかさばります。持ち歩くことを考えると、七寸台が扱いやすい寸法です。
そして、革の扇子へ
千二百年のあいだ、扇面には紙が張られてきました。
江戸扇子の技を継ぐ職人が、江戸川区ではひとりになっている。それを知った東京下町の革職人たちが手を挙げて、約一年の試行錯誤の末に生まれたのが、厚さおよそ0.3ミリの革をまとった扇子です。
その一本の物語を、写真と動画でご覧ください。
江戸革扇子について